名古屋高等裁判所 昭和37年(う)31号 判決 1962年10月10日
控訴人 被告人 金沢庸夫こと金庸夫
弁護人 坂井忠久 外一名
検察官 小西茂
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人坂井忠久、同伊藤静男の各控訴趣意書に記載されている通りであるから、ここにこれを引用するが、これに対し当裁判所は次のように判断する。
弁護人伊藤静男の控訴趣意第二点理由不備の論旨について
所論は、本件事故の原因は、被告人が相手方自動車が南進するのを北進するものと誤認した結果、被告人が相手方自動車の進路に自車を進めたため衝突したことにあるのであるから、被告人に本件事故について過失があつたかどうかは、被告人の右進行方向の誤認が当時の天候状況、相手方の車の状況等から、やむを得なかつたか否かを究明して初めて明かになるにもかかわらず、この点について、その理由中に説示することのない原判決には審理不尽、理由不備の違法があるというのである。
原判決が本件事故の原因の一半として、被告人が南進する被害者の車を北進するものと誤認した過失を挙げていることは所論の通りであるが、有罪判決の理由の説示としては右の程度で十分であつて、それ以上に所論の如く、右誤認が当時の具体的状況から真にやむを得なかつたか否かの点まで立入つて説明する必要はない。
然も原審証人鈴木陽子の尋問調書によれば、本件事故当時小雨が降つていて暗かつたけれども、車のヘツドライトをつける程ではなく街燈もまだついていなかつたし(記録九三丁)、被告人自身も、当時雨は降つていたが小雨で、別に前が見えないことはなく、被害者の車の進行方向を見誤つたのは、ブレーキに気を取られて、あわててしまつた為であると述べているのであつて(同人の司法警察員に対する供述調書、記録七三丁裏)、被告人の前記誤認はすべて被告人自身の過失に帰せられることが明かであるから、原審に審理不尽の点もなく、論旨は理由がない。
弁論人伊藤静男の控訴趣意第一点法令の適用の誤の論旨について、所論は、原判決は、被告人が衝突事故を引き起したのに負傷者の救護等必要な措置を講せず、その事故発生の日時、場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたとして、道路交通法第七二条第一項前段及び後段を適用しているが、右の如き場合には同項前段の救護義務違背の罪のみが成立し、同項後段の適用はないと言うべきで、原判決には、この点において、法律の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
原判決が原判示第三の事実において、「前記日時場所において大型貨物自動車を運転中前記第一記載の衝突事故を惹起したのに負傷者の救護等必要な措置を講ぜず、その事故発生の日時場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた」と認定して、これを道路交通法第七二条第一項前段の救護義務違背の罪と同項後段の報告義務違背の罪との併合罪として処断していることは所論の通りである。
ところで車両等の交通により人の死傷、物の損壊等の事故が発生した場合の、措置として、道路交通法第七二条第一項前段は、右車両の運転者その他の乗務員に対し、ただちに車両の運転を停止し、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講ずることを命じ同項後段は、右交通事故発生の日時、場所、右交通事故による死傷者の数、負傷者の負傷の程度、並びに右交通事故について講じた措置をもよりの警察署の警察官に対し報告することを命じている。これらは、いづれも交通事故による負傷者の救護並に交通秩序の回復に万全を期することを共通の目的とするものではあるが、なおその義務の内容を異にし、両者相まつて右目的の達成に遺憾なからしめんとしているのであつて、同項後段の報告義務は、同項前段の救護義務の履践を前提として成立するものではないと解すべきである。このことは右救護義務違背については同法第一一七条、右報告義務違背については同法第一一九条第一項第一〇号に、それぞれ別個に罰則が規定してあることによつても明かである。又これを実質的に見ても、具体的情況によつては、交通事故を惹起した運転者が、先づ後段の報告義務を果して後、前段の救護義務に従事する場合、及び後段の報告義務の履践の方が、前段の救護義務のそれよりも、前記の負傷者の救護並に交通秩序の回復という所期の目的達成に、より有効、適切な場合があることも十分に想定されるのであつて、必ずしも前者は後者をその成立の前提とする関係にあるとは言えない、のみならず所論の如く解するならば、救護義務も報告義務も果さない者と、救護義務は尽さなかつたが報告義務のみはこれを履践した者(たとえば、交通事故を惹起した車両の運転者が、そのまま事故現場から立ち去つたが、間もなく電話等により、もよりの警察署の警察官に右事故について報告した場合)とが同一の処遇を受けることになり、このことは前記の報告義務履践が果すことのある重要な効果を考慮すると、いささか公平を失すると思われるのである。
更に同項の文理解釈としても、同項後段の「この場合において」は、同項前段の全文を受けると解されないでもないが、これを同項前段中の「車両等の交通による人の死傷又は物の損壊があつたとき」を受けるものと解することも同様に可能である。もつとも同項後段はその報告義務の内容として、「当該事故について講じた措置」を掲げているけれども、これは、「車両等の交通による人の死傷又は物の損壊があつたとき」で、かつ「運転者等が負傷者の救護措置等講じた場合」の報告義務の内容を定めたものであつて、当然の規定であり、その故に前記「この場合において」が同項前段の全文を受けるものと解さねばならぬものではない。従つて原判決には法令の解釈適用を誤つた違法はなく、所論は採用できない。
弁護人坂井忠久の控訴趣意、及び弁護人伊藤静男の控訴趣意第三点量刑不当の論旨について
本件記録によれば、被告人は制動装置が極めて不完全で急停車のできない大型貨物自動車を無謀にも交通頻繁な国道一号線において、然も大型貨物自動車の運転免許を受けていないにもかかわらず走行させている中に本件事故を引き起したものであつて、その行動たるや危険この上もなく、むしろ被害が本件程度に止まつたことが僥倖であり、更に被告人は本件事故後被害者の救護措置、報告義務を講ずることなく現場を逃げ去るなど犯情甚だ悪く弁護人所論の被告人が当時少年であつて前科もなく、被害者との間にもその後示談が成立している等の各事情を参酌しても、被告人に対する原審の量刑が不当であつて、これを重しとするに足る事由を認め得ないから論旨は採用しがたい。
よつて本件控訴はその理由がないので、刑事訴訟法第三九六条に則りこれを棄却することとして主文の通り判決する。
(判長判事 小林登一 判事 成田薫 判事 斉藤寿)